キアゲハ通信No.042-「阪神大震災」
2014.08.04 更新
「阪神大震災」
院長 西田 善彦
早いものでもう阪神大震災から丸12年が過ぎました.丁度13回忌ということでこれをお読みの皆様の中にも改めて悲しい出来事を思い出される方もおられるかもしれません.お悔やみ申し上げます.
さてその当時,私はまだ徳島大学病院の第1内科に勤務しており,丁度医局長の職にありましたので,率先垂範のつもりで徳島大学よりボランティア医師として被災地に2度派遣していただきました.最初は被災後3日目の一宮町(コミセン),2度目は1ヶ月後の神戸(諏訪山小学校)でありました.直後の時のドーンと真下から突き上げてきくるような震度5の余震や丁度1ヶ月後の正午にメリケン波止場で聞いた黙祷の合図のサイレンは昨日のことのように記憶しております.今日は淡路と神戸それぞれの思い出の中から特に印象の強いエピソードを1つずつお話ししたいと思います.
まず淡路では,医師になって初めて被災地の医療を体験し,プライマリ・ケアの実践を通して医者としての原点を見つめ直すことができました.特に保健婦さんに連れられて仮設診療所には来られない身体の不自由なお年寄り宅を訪問して喜ばれたことは,現在の自分の行っている訪問診療に通じております.ちなみに派遣当初はまだ水道すら復旧していない状態で,2日目に水道が回復し,風呂が使えるようになった際,浴槽から夜間水漏れし,私の寝ていた診療用のベッドの上に落ちてきてびっくりしたのも今となっては笑える思い出であります.
次に神戸に行った時には状況が随分変わっていました.既に1ヶ月がたっており,何時になったら避難生活から抜け出せるのかという先の見えない苛立ちもあって被災者同志でもいざこざのようなことがありました.そしてその中で第2次世界大戦の空襲で機銃掃射にもあったというお爺さんが言われた「本当に怖いのは災害よりも人災だ」という一言は,決して忘れることのない言葉となって私の記憶の中に残っております.
(院内広報誌「なんきんまめ No.69(2007.3.3)」に掲載)
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