脳死について

2000.06.13 放送より

 今日はちょっと怖いのですが、最近、日本国内でも臓器移植に伴いまして、脳死という言葉がマスコミなどで時々取り上げられておりますので、脳死についてお話いたします.

 まず脳死とは“脳の死”ということですから、“脳”についての説明から始めます.脳といいましても、大きく大脳、小脳、脳幹などに分けられます.大脳の役割はもうご存じのように、目で見たり耳で聞いたりしたことなどに対して美しいとかうれしいと感じたり、何かをしようと考えたりします.勿論、手や足を動かしたりする指令を送るのもこの部分です.これに対して、小脳は体のバランスを保ったり、手足を動かすときの方向や力の入れ具合の微調整を行ったりなど、運動神経の補佐をしています.そして脳幹は脳の幹と漢字で書きますが、この部分脳の奥の方に位置し、延髄や橋、中脳などいくつかの部分が含まれております.脳幹は、心臓の鼓動や呼吸など無意識に調節され、生きてゆくのに必要な機能を支配しており、自律神経の中枢があります.

 このように一口に“脳”といいましてもいろいろな部分がありまして、それぞれ役割が違っております.その結果、例えば大脳だけが障害された場合、生きてゆく機能は保たれておりますが、感じることも、考えることも、そして手足を動かすこともできないといういわゆる“植物状態”となります.この場合は、当然意識はありません.これに対して、脳幹だけの障害であれば、生きていくのには非常に危険な状態ですが、障害のされ方によってはたとえ手足は動かなくとも意識が残っていたりすることがあります.日本では脳死といえば、普通は全脳死すなわち大脳も小脳も脳幹もすべてやられてしまった状態をいいます.

 次に、話題になっている脳死の判定についてお話しいたします.脳死の判定基準の基本的なものは1985年といいますからもう結構以前に厚生省によって発表されております.それを元にして臓器移植に関係して2年前にさらに改正と追加が行われております.それによりますと、まず前提条件というものがありまして、脳に起こった器質的障害(すなわち神経自体に構造的な障害が起こってしまっている状態で機能的な障害ではない)により深昏睡(すなわちどのように強い刺激をあたえても決して意識が戻らず、手足もピクリとも動かない)および無呼吸になっていて、しかも元の疾患が、交通事故や脳卒中などと確実に診断されていて、いくら治療しても回復の見込みが全くないと判断されることが前提となります.そして何らかの薬の影響や中毒、低血糖や無酸素脳症など代謝性の障害、低体温のもの、6歳未満のものなどは除外されます.

 次に、具体的な判定の基準についてお話しいたします.まず先ほども申しましたように、深昏睡すなわち、顔などに刺激を与えても全く反応がない状態であることです.そして次に自発呼吸の消失で、これをみるためには、人工呼吸器をはずして自発呼吸の有無をみる必要があります.それから瞳孔の両側散大で、瞳が左右とも4mm以上に開いたまま同じ大きさとなって固定された状態になっていることを確かめます.さらに脳幹反射の消失を確かめます.これにはいろいろありまして、命の維持に必要な脳幹のいろいろな機能が無くなっていることを調べるため、対光反射、角膜反射、毛様脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射、咳反射などが消失していることを確かめます.これらの反射の消失の判定は主観的な部分がありますので、他覚的な所見としてさらに聴性脳幹誘発反応、これは耳にカチカチという音をヘッドホンで聴かせて、脳波が出るかどうかの検査ですが、これを義務づけるようになってきております.そしてそこまで確認いたしますと、大脳の機能をみるために30分以上脳波が平坦であることを観察いたします.これらの条件がすべて満たされたら、その後、6時間して再び同じ検査を繰り返し、変化のないことを確認すれば脳死であると判定されるわけです.

 脳死を人の死として認めるかどうかは、個人個人でそれぞれ思いや考えがあると思います.私個人といたしましては、脳は各個人が各個人として生きてゆくために最も大事な臓器であり決して他人から移植してもらえないということと、神経難病の患者さんを診療させていただいていて、たとえ手足が動かず、声も出なくとも、自分の生き甲斐を持って立派に生きておられる姿を拝見いたしますと脳に生命の尊厳を感じてしまいます.

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