ボツリヌス毒素について
2011.11.20 放送より
今日は食中毒などで恐いイメージのあるボツリヌス毒素を用いた治療法についてお話しします.ボツリヌス毒素というのはボツリヌス菌が産生する分子量15万程度のタンパク質で,抗原性の違いからA-G型の7種類に分けられます.このうち治療薬として用いられるのは,最も安定していて毒性も強いA型です.この毒性がどのくらい強いかといいますと,人1人の致死量がわずか1μgであり,0.5gもあれば全人類が死にいたると言われていますので,史上最強の毒物であるといえます.この毒素は,運動神経と筋肉の境目にある神経筋接合部というところに働き,神経から筋肉への刺激を伝えられなくすることにより,筋肉の収縮を起こさせないようにします.すなわち運動神経からの刺激は神経伝達物質であるアセチルコリン(ACh)によって筋肉へと伝えられますが,このAChは普段は運動神経の終末のシナプス小胞という部分に保管されており,必要に応じてそこから神経筋接合部へと放出され,これが筋肉側のACh受容体に届くことにより,筋肉へと興奮が伝えられ,筋肉が収縮するというわけです.そしてボツリヌス毒素は,このシナプス小胞に作用してAChの放出を阻害します.そのためボツリヌス毒素が結合した神経終末ではAChによる刺激伝達が出来なくなり,その神経によって支配されている筋肉の弛緩が起こるというわけです.この作用を利用して過剰に筋肉が収縮して困るような症状に対してその収縮している局所の筋肉に毒素を筋肉注射して症状を緩和する治療が,日本でも1996年以降,専門施設において順次認められるようになっております.
それではボツリヌス毒素を用いての治療について,具体的にお話しして行きたいと思います.まず始めに保険適応になった病気は,眼瞼けいれんであります.この病気は眼瞼の不快感,羞明感などで始まり,まぶたがぴくぴくするように感じたり,瞬きが多くなります.そして進行すると開眼できなくなり,失明状態に陥ってしまいます.これは眼輪筋という目を閉じる筋肉にジストニアという不随意運動が起こっているためで,眼輪筋が間代性あるいは強直性に攣縮(=過剰な収縮)しています.40-70歳台の中高年齢者の女性(男女比は1:2)に多く見られ,原因は不明で大脳基底核という錐体外路系の運動抑制システムに機能障害が生じていると考えられております.そして原因不明の突発性のほかパーキンソン病や向精神薬や抗不安薬などの薬の副作用(=薬剤性)のこともあるようです.この病気は,ボツリヌス毒素を収縮している眼輪筋に筋注することによって治療します.ボツリヌス毒素はボトックス®(BTX)という商品名で市販されており,1バイアルに50単位あるいは100単位含まれており,これを溶かして適当に希釈して片目あたり6カ所,大体10-20単位くらい用いられます.この1単位というのはマウスの腹腔内にこの毒素を注射して注射されたマウスの半数が死に至る量を示します.人間はマウスよりも体重が重い上にこの毒素に対して抵抗力が強いようで,致死量は3000から3万単位とされていますので,治療に用いられるような量ではまずは安心です.注射されたこの毒素は直ちに局所の神経終末へと取り込まれ始め,2-3日で効果が出始め,大体1-2週間で効果が安定し,3ヶ月くらいすると神経の再生が進み,またAChの放出が見られるようになり,効果が減弱します.そうすると再度注射をすることが出来ます.この治療の副作用としては,注射部位の出血や感染などのほか,効き過ぎますと1過性に目が閉じられなくなることもあります.
次に2000年には片側顔面けいれんといって目のまわりの筋肉(眼輪筋)だけでなく,口のまわりの筋肉(口輪筋)やいろいろな顔の表情筋にけいれん性に攣縮がみられる病気で保険適応となりました.さらに2001年には痙性斜頚といって胸鎖乳突筋,僧帽筋,斜角筋,肩甲挙筋など首の諸筋に異常な筋緊張が起こり,このため首の痛みや頭位の異常(頭が後ろにそったり前や横に傾いたり左右をむく)がみられる疾患で保険適応となりました.この病気もまた首の筋肉に起こった局所性のジストニアで30-50歳台の方に多く,原因不明の原発性以外にも脳性麻痺など脳の疾患に併発したもの,薬剤性のもの,外傷後に起こってくるものなどのほか,同じ姿勢をとり続ける職業や精神的なストレスに関係したものなどもあります.そして重篤になると寝たきりになることもありますので,BTXによる治療はかなり有用といえます.それから2010年には手足の痙縮といって脳血管障害,脳性麻痺,脊髄損傷,多発性硬化症などで手足の緊張が痙攣性に高まり固まって動かなくなった状態でもこの治療が行えるようになりました.
現在はA型ボツリヌス毒素が中心ですが,将来はB型やA型毒素をさらに精製したものなどが開発中であり,また海外では難治性の疼痛や片頭痛の予防など別の病気に対しても適応が拡大されてきているようですので,この治療の今後の発展が期待されております.
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