キアゲハ通信No.040-「鶴ハ千年 亀ハ萬年 我れハ天年」
2014.07.23 更新
「鶴ハ千年 亀ハ萬年 我れハ天年」
院長 西田 善彦
「鶴ハ千年 亀ハ萬年 我れハ天年」,これは江戸時代後期の有名な禅僧である仙厓義梵という人の墨絵に添えられた言葉です.仙厓さんは1750年に美濃の国の貧しい家の三男として生まれ,間引きに合うところを危うくお寺に拾われてお坊さんになり,厳しい修行の末,臨済宗の高僧の1人となりました.しかしその後,願った寺の住職になれずに挫折して,雲水として修行をし直して39歳の時に博多に下り,栄西の開いた聖福寺の住職となり,庶民の中に生きるお坊さんになったといわれております.軽妙洒脱でユーモアに富み,人気があり西の一休さんともいわれる存在であったそうです.逸話として黒田藩藩主の斉清公が大切にしていた菊の花を誤って切られ,怒りの余り家来に切腹を命じたところ,仙厓さんに「菊の花と人の命とどちらが大切か」と一喝され,自分の非を恥じたという話などが残っています.
仙厓さんは1837年の10月7日に当時としては驚異的な87歳で亡くなったのですが,その臨終に際して弟子たちに遺訓をせがまれ,「死にともない,死にともない」と言ったそうです.それを聞き弟子たちはこの期に及んで何て未練がましいことを言うとたいそう落胆したようですが,仙厓さんの冒頭の言葉の意味を考えるとこの遺訓の本当の意味は,もっと奥深く味わい深いものではないかと思います.天年すなわち人間は天から与えられた命を全うすることが大切であり,たとえ老人となって腰が曲がり手が振えても,あるいは目が見えづらく耳が遠くなったとしても,いくつになっても年を重ねることは喜ばしいことであると仙厓さんは言っているのではないでしょうか.
私も早速,パクって詠みました.「鶴は千年 亀は萬年 我れは天然」.さあ皆様,一度限りの人生です.自分の寿命がいつまであるか誰も分かりませんが,だからこそ悔いが残らないよう自分らしく精一杯生きてゆきましょう.
(院内広報誌「なんきんまめ No.67(2006.11.6)」に掲載)
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